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【伝説】高倉健は何故すごかったのか【エピソード集】

   

1960年代に任侠映画で圧倒的な支持を集め、「幸福の黄色いハンカチ」「南極物語」などの主演で知られた日本映画を代表する俳優で文化勲章受章者の高倉健(たかくら・けん、本名小田剛一=おだ・ごういち)さんが10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。高倉健が何故すごいのかをまとめてみました。

 

※撮影でのエピソードがすごい

新作映画の撮影中、いつも持ち歩いていた台本に、1枚の写真を貼り付けている。
震災の残骸の中、唇をかみしめて歩く少年。新聞から切り抜いた。
「宝物です」。
被災地を思う高倉さんは「人生は切ない。
切ないからこそ、何かに『うわっ』と感じる瞬間がある」と語る。

http://pds2.exblog.jp/pds/1/201203/16/14/e0171614_11565213.jpg

『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンとカツ丼を食べるシーンがある。
その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次監督からOKが出た。
あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。

真冬の福井へロケに行った際、高倉は休みの日だったが、ロケ現場へ激励に現れた。
厳冬下であったので、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、高倉は焚火にあたろうとしない。
スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めたところ、高倉は「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えた。
このため、スタッフだけでなく、共演者も誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったと発言している。
やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたることができた

軍隊が訓練中に八甲田山で遭難してしまう映画「八甲田山」
吹雪の中で立ち往生してしまうシーン
現場に行くのに役者は歩いて行かないといけない
当然足跡がつく
立ち往生しているのに足跡がついているのはおかしいと、雪山で4時間、足跡が消えるのを待った

高倉さんは撮影の前に必ず現場を自分の目で確かめにいらっしゃいます。僕の撮影の時は必ずですから、すべての現場でそうされてるのではないかと思います。
その時は撮影前日で、強い雨が降っていました。これだけ強い雨だから、もしかしたらチェックに来られないのではないかとも思っていました。冬が近づいていてかなりの寒さでした。僕らスタッフ全員、緊張しながら高倉さんを待っていました。
約束の時刻ピッタリに車が止まり、ドアを開ける高倉さんが見えました。僕らが待っている現場まで4~50mはあったでしょうか。高倉さんは傘も差さずに、そのまま走って向かって来るのが見えました。一刻も早く現場をこの目で見たい、少しでも早くスタッフを確認したいとの思いだったのでしょう。運転手や代理店の人たちが傘を持って後ろから高倉さんを追いかけています。
一瞬のうちにずぶ濡れになった高倉さんを見て、僕たちスタッフは、全員、差していた傘をその場に投げ捨てていました。

ブラック・レイン」(89年、リドリー・スコット監督)
に出た故・松田優作の言葉
「優作が『高倉健さんって、ありがたいよね』
としみじみ言うんですよ。
『健さんが道をつけてくれたから、日本人の俳優という
だけで尊敬される』って。

共演したマイケル・ダグラスは大阪京橋の野外シーンロケで、日本人のファンが高倉に憧れて接する姿を目撃した。その様子をダグラスは「アメリカではブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。あんなに尊敬される姿を見られるのは!」と驚いていた

高倉のファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は、『単騎、千里を走る。』の撮影の際、高倉が休憩の時に椅子に一切座らず、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたことや、現地採用の中国人エキストラ俳優にまで丁寧に挨拶していたのを見て「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言している。

『夜叉』の撮影初日が終わり、役者・スタッフの泊まる旅館へ到着し、食堂へ行くと、高倉と監督の前だけ、皆とは違った豪華な料理が並んでいた。これを見た高倉は「自分も皆さんと同じ料理にしてください」と遠慮していた。

「第1回の『八甲田山』の時は東映を出たばかりでした。賞に縁のなかった自分が、それから立て続けに賞をいただいた。褒めてもらって、しかもギャラがどんどん上がる。何か違うんじゃないかと思ってね」
――でもギャラも大事。
「もちろんです(笑い)。でも、時々ね、ギャラより大事なものが出てくる。痛切に感じたのが中国で撮った前作『単騎、千里を走る。』でした。撮影が終わった時に、百何十人のスタッフがみんな泣くんです。僕に抱きついてきてね」

武田さんにとっては初めての映画出演でしたが、
今年4月にあった「幸福の黄色いハンカチ
デジタルリマスター」の公開記念試写会にて撮影当時を
振り返り、
「僕は素人俳優だから、監督にいつも怒られていましてね。
健さんが『お前、大変だったな』
となぐさめてくれるんですよ。
それで『オレばっかりいじめるんですよ』
と愚痴をこぼしたら、
『伸びないやつはしごかねえよ』と言ってくれて……。
宿まで泣きながら帰りましたよ」。
と話した。

武田鉄矢が話していた、映画のデビュー作・幸福の黄色いハンカチのエピソード。
ラストの黄色いハンカチがたくさん干しているシーンで、鉄矢は泣く芝居をしないといけなかったけど、そのシーンに一週間撮影をかけていて、毎日ハンカチを見ているうちにハンカチが安全第一の旗に見えて涙が全く出なくて、泣く演技をするのに苦労したんだって。
そしたら、そのシーンが終わったら撮影も終わって1ヶ月振りに東京に帰ることになっているのだけど、「よーい」ってカチンコが上がった瞬間、健さんが小さい声で、
「長い間世話になったな。東京に帰っても体元気づけて、しっかり生活するんだぞ。楽しかったぜ。」
って言ってくれ、鉄矢大号泣。
涙ぼろぼろ、おいおい泣いたって。健さん…なんて温かい人なの。

俳優・高倉健(80)が6年ぶりに主演する映画「あなたへ」(来秋公開)の撮影が4日、岐阜県高山市で行われ、高倉は27年ぶりの共演となるビートたけし(64)と息の合ったところを披露した。
2人は合間を縫って取材に応じ、たけしがJR高山駅に2日深夜に着いた時、高倉が1人で駅まで出迎えたことが明かされると、たけしは「顔を伏せた人が近づいてきて、地元のヤクザかと思ったら健さんでした」などとサプライズ歓迎を受けたことを爆笑エピソードを交えて明らかにした。

『居酒屋兆治』。ロケは函館の市場のシーンから始まった。
ドキドキしながら前日の夜、函館のホテルに入ると、部屋に健さんからの花が届いていた。何か健さんの声が聞こえるようで、しみじみうれしかったことを今も覚えている。

志村さんが映画撮影のために北海道へ行く前日、高倉さんは関係者から志村さんの携帯番号を聞き出し、メッセージを入れたようです。
『高倉です。明日よろしくお願いします。寒いですので気をつけて下さい』
志村さんは本人からの録音を聞いて感激したようです

黒澤さんは詳細な絵コンテを描くことで有名ですが、
「乱」の絵コンテに描かれた武者姿はまぎれもなく
高倉健さんだった。
黒澤さんは「いままでに見たことが無い高倉健
を見せてあげますよ」と言ったそうです。
条件が会わなかったようでこの話は成立
しなかったが、後日、「乱」のプロデューサー
になった原正人氏にこの絵コンテの話をしたら、
原さんは、「健さんがその話を聞いたら
喜んだろうになぁ。彼は本当は出たがって
いたんだよ」
と言っていたそうです。

録音師の証言
撮影開始前、高倉健さんに、「シーンによっては、体に小型マイクをつけることがあります。」と説明をしに行ったら、
「問題ないですよ」と言って、自分の服を広げて見せてくれたら、なんと、すでに、8つのマイク用ポケットが縫い付けてあって、それも、どれも音がしっかり拾えるような角度で付けてあって、驚きすぎて倒れそうになりました。
「これこそ、本当のスターだ、プロだ」と思いました。

中国側の多くの配役に素人の民間人を起用し、しかも本名を役名に使うという手法は新鮮に映った。
高倉(彼の役名は高田)のガイドを務める役者の本業はやはり観光ガイド。
あるシーンでは、緊張したガイドの十数回に及ぶNGにも黙って対応し、最後は頬をさすったり肩を揉んだりしてリラックスさせそのシーンを撮り終えた。

撮影時に自宅を休憩所代わりに貸していた木山キミさん(88)は、「(当時)健さんがしているマフラーを私の首に巻いてくれて。『よろしいんですか?』と聞いたら、『いいんです。風邪をひかないでください』って言ってくれて…」と瞳を潤ませながら振り返った。

主演映画「あなたへ」のロケ地となった長崎・平戸市でのエピソードと
撮影中に“茶飲み友達”となった88歳のおばあちゃんを中央に迎えて写真撮影

東映に出演した東宝の池部良は
高倉健が食べているところを見たヤツは
「撮影所広しといえども誰もいないんですよ」と
聞かされます。(池部良著/食い食い虫)

高倉健さんがタバコのLarkのCMをやってた時のことだ。
以前はヘビースモーカーだった健さんだったが
当時は一切吸っておらず
あくまで仕事として割り切って受けたのだ。
…にも関わらず、健さんはCM期間中
いつもワイシャツの胸ポケットに
Larkを入れ、薄らと見えるようにしていた。

独立以後も現在まで映画スターであり続けている一方で、テレビドラマへの出演は数えるほどしかない。その出演理由も「故郷にいる母親にテレビで毎週自分の顔を見て安心して欲しいから」というものである。

※慕う人とのエピソードがすごい

藤純子の、実父、俊藤浩滋 シュンドウ コウジ は、
東映やくざ映画の、大プロデューサー。
鶴田浩二や、若山富三郎を、育て、
もちろん健さんも、彼に育ててもらった。
大恩人。
しかし、やくざ映画の斜陽と共に、誤解が生じ、
疎遠となってしまう。以下、俊藤の著作より、
“ そんなことを思うていたら、突然、年末に彼が私の家にやってきた。
「 ご無沙汰しています。」
健ちゃんは玄関に突っ立って、そう言うたきりボロボロ涙を流して、言葉が出ない。
「 まあ、上がれよ。」と言うと、
「 いやあ・・・・・」と、ただ涙ながらに立っている。
「 今日は何も言えませんから、またあらためて来ます。」
それで帰ってしまった。 ”

高倉健の成城の自宅が火事になったとき、著者は横尾忠則と2人で現場に駆けつけたそうだ。
「横尾さんはすぐ、タクシーを拾い、高倉邸にかけつけた。ぼくも素早く同乗した。(中略)野次馬を阻止する非常線も、横尾さんの新種の映画スターのようなルックスとファッションの威力でなんなく突破した。
健サンは、門のあたりにいた。妻の江利チエミの姿はなかった。横尾さんが健サンに近づいていった。すると健サンはくるりと振り返り、『アッ、横尾さん、おいそがしいのに、こんな所にワザワザ来ていただいて恐縮です。さあ、お茶でも……』といいながら、自ら魔法瓶のコーヒーをマグカップに注ぎ、横尾さんに手渡した。」(P232)
高倉健、すごい人である。
そして、自宅が炎上する中、それを眺めながら高倉健と奇抜な服装の横尾忠則がコーヒーを飲んでいたという絵もすごい。

岡村とは第23回日本アカデミー賞で同席し、長年のファンであることを伝えた。岡村は「将来は高倉健さんのような俳優になりたい」というスピーチで会場に笑いが巻き起こる中、高倉は立ち上がって拍手を送った。岡村が病気で療養中の際にも電話や手紙でメッセージを送っている。

芥川賞作家・丸山健二。
健さんの写真集に、「 それが高倉健という男では ないか 」という、
一文を寄せる。
それを読み、元気づけられた健さんが、お礼を述べる。
また、それに感激した丸山は、主演・高倉 健として、
小説 「 鉛のバラ 」を、出筆・発表。

小林稔侍さんから聞いたとの事で秋元康氏が紹介。
健さんがヤクザ映画で売れている頃稔侍さんは駆け出しで健さんの脇役。
稔侍さんの引越しが決まった時に健さんが祝儀(当時のお金で200万円~300万円)を渡そうとしたら(流石に高額すぎたのか?)稔侍さんは固辞したそうです。そしたら引越しの当日健さんは作業着を着て引越しの手伝いに現れたという話

千葉真一は高倉を “ 一生あこがれの存在で永遠の師匠 ” と公言している。「(千葉が)デビューして間もない頃、健さんが食事によく連れて行ってくれたり、取材向きの洋服がない時に健さんからスーツをもらった」「役者として少し売れてきた後でも(千葉自身の)撮影がない時には、健さんの付き人をしていた」「(千葉が)離婚した時に健さんから手紙で励まされ、それが心の支えになった」「(千葉が)東映の労働組合委員長と撮影進行で衝突して、映画界を辞めようと思った時に、健さんが思いとどまらせ、一緒に謝ってくれた」など、「健さんは厳しい人だけど、ちゃんと愛がある。そばにいて、俳優としても人間としても、大切なことをいっぱい教わった」と語っている。

若山が下戸であることを知らない高倉健が、
日頃のお礼の意味で撮影前の若山に日本酒を一瓶贈った。
若山は困りながらも高倉の思いに応えようと、
快く受け取ってそのまま高倉の眼前でラッパ飲みして
見せた。
当然若山はそのままぶっ倒れ、当日の撮影は中止。
高倉健はひたすら平身低頭していたという。

※サプライズがすごい

気持ちの通じ合った共演者に高倉はブライトリング、ロレックス、ヴァシュロン・コンスタンタンなどの高級腕時計に、「高倉健」の名前を彫ったモノをプレゼントする習慣があり、千葉真一・田中邦衛・渡瀬恒彦・板東英二などが貰っている。田中も高倉をこよなく尊敬し、今も出かける際には、その時計を身に付けている

『ブラックレイン』で共演した松田優作にもロレックス「GMTマスター」を渡すつもりだったが、松田の病状を知らず、旅先で訃報を聞き、帰国後に松田邸まで出向き、夫人の松田美由紀に手渡した

高倉健さんが撮影を終えて帰国したあと、撮影場所だった雲南省麗江が水害に見舞われた際、高倉健さんは、どこからその情報を聞きつけて、村に、たくさんのプレゼントを送ったそうです。そのプレゼント中に、とくに、向日葵の種が入っていたことに、村長が深く感動したとのこと。

高倉さんがJRA(日本中央競馬会)のテレビCMに出た時のことだ。
牧場を舞台にしたドラマ風CMの撮影に、北海道の小さな町の人たちが協力してくれた。
ある日、町に電話が入る。お世話になったお礼に「町の行事に参加したい。ただし、内証にしてください」
当日、会場に現れた高倉さんは、連れてきた宇崎竜童さん(だったと思う)のギターで何曲か歌った、と後日報じた記事には、町の人たちを感激させたとも書かれていた。

郵便物が届いた。開けてみると木の箱に入った上品なお線香の束と、丁寧だが簡潔な手紙が入っていた。
高倉健さんからだった。

母によると父と高倉さんは決して親しい間柄ではなかったそうだ。映画で御一緒したこともないはずだという。想像するに、撮影所などで顔を合わせた際に挨拶を交わす程度のおつき合いだったに違いない。

そんな間柄を思い気遣ってくださったのだろう。通夜告別式の席に花を送るではなく、弔電を打つでもなく、葬儀が終わりほっとして家族にやっと哀しみが訪れる時を考えて、それも相手が決して不要とは思わないお線香を送ってくださる──、

何という優しさ、人への思いやりだろうと思った。多くの人に愛されるスタアとは、本当に素晴らしい役者さんとはこういう人のことだと思った。
母と僕は頂いたお線香に火をつけ、父の遺影に静かに手を合わせた。

ノンフィクション作家の、沢木耕太郎。
彼は、ボクシングのルポ「 一瞬の夏 」を、
カシアス内藤を、主題にして、書いてました。
「 俺より、君が観たほうが、イイ。」
健さんから、ロスで行なわれる、ヘビー級タイトルマッチ、
ラリーホームズ vs モハメッド・アリ戦の、
特等席一枚を、渡される。
沢木は、お礼として、健さんだけに、そのルポを出筆・報告。
http://www.youtube.com/watch?v=RQgOw7SGJ4U&feature=player_detailpage
20年以上経って、
「 俺だけで、仕舞っておくルポじゃないから、発表しな。」
スポーツ雑誌・ナンバーに、掲載。

20年ほど前、柳さんのディナーショーの開演前に突然楽屋を訪れ「以前から聴いていました」とシャンパンを差し入れたエピソードは有名。健さんの突然の訪問に驚き、言葉が出なかった柳さん

ナインティナインの岡村隆史さんに「忘れ物だよ」といって、自分の帽子をさりげなくプレゼントした

健さんが、親しい友人に、高級時計を贈ることは、有名。
いつも、羨ましく思っていた、運転手の石倉三郎は、
ある日、「 欲しいのか?」 「 ハイ! 」
健さんは、自分の腕にしていた時計を、その場で、石倉にあげたそうです。

石倉三郎:高倉健さんに「俳優になりたいのか?」みたいな声をかけてもらい東映エキストラをやらせてもらうも、元々喧嘩っぱやぃ彼は撮影現場で暴れ喧嘩し、それから仕事のない生活をするも、ある日寝てたら電話が鳴り、「高倉ですが・・」との声に、まさか高倉健さんからだと思うわずに、高倉健さんに対し「何言ってんだ、バカヤロー!」と電話口で怒鳴りつける。
本人だと分かり・・慌てて「今から行く・・」という高倉健さんに、慌てて布団をたたみ、待ってると、雨の中・・ジープでアパートに健さんが現れ、「今日、誕生日だろ?」と、着てた革ジャンを彼に渡し・・そのまま健さんは立ち去った

ある後輩に、お祝いに何が欲しいか聞いたところ、
カッターシャツが、欲しいとのこと。
米国・ロサンゼルスの、ブルックス・ブラザーズに、
本人が行き、そこで購入して、日本に戻りプレゼントした。

1990年(平成2年)のロッテの村田兆治投手の引退試合中継を見て感銘を受け、それまで面識も無かった村田の住所を関係者に一通り尋ねて調べ、さらに留守中だった村田の自宅前に、花束を置いて帰った

石倉三郎が結婚したとき、
自宅に突然、高倉健がジープに乗ってやってきて、
お祝いだといって、腕時計かなんか貰ったらしい。
そのジープの運転手は、小林念待だったそうだ。

出典石倉三郎

http://stat.ameba.jp/user_images/20100620/19/kazue-fujiwara/ea/55/j/o0113011310600735121.jpg

※いろいろすごい

主演映画「あなたへ」のロケ地として協力を受けた富山県・富山刑務所を表敬訪問した。今作で演じた倉島英二は刑務所の指導技官という役どころで、昨年9月に5日間にわたり撮影を行った。高倉の感謝の気持ちを伝えたいという思いから、再訪が実現。同刑務所内の講堂で受刑者約350人と対じし「1日も早く、あなたにとって大切な人のところへ帰ってあげてください。心から祈っています」と語りかけると、受刑者たちから盛大な拍手が沸き起こった。

中国でも年配層に知名度、人気が高い。これは、政治闘争に溢れた文化大革命後、外国映画に飢えていた中、『君よ憤怒の河を渉れ』(佐藤純彌監督)が中国に輸入され、高い娯楽性と華やかな日本の風景などで非常に人気を博したためである。中国人の半分が観たともいわれている。ちなみに、この映画の宣伝のために田中邦衛と訪中した時、宿泊先のホテルには、高倉を一目見たいというファンが大勢詰め掛けた。

長嶋一茂が1999年(平成11年)12月3日に箱根神社で結婚式を挙げた時、高倉が出席したので、思わぬ大物の登場に結婚式取材に駆けつけた取材陣が驚いた一幕があった

ある時、高倉健さんとご一緒にスポンサーさんの接待がありました。
行ったクラブで、そこのマネージャーが歌を歌って欲しいと要望され、困ったことがあります。
横にいた健さん、困っている私を見て
「絶対に歌ってはいけませんよ、貴女はプロなんですから」
そう囁くと、しつこく要望するマネージャーに
「僕は歌手じゃないから、僕が歌いましょう」
そう助け舟を出してくれました。マネージャーさん、絶句。結局引き下がってくれました。

映画『居酒屋兆冶』で共演した女優の大原麗子さんが09年に急死した際も、
葬儀には遺族に迷惑がかかると出席しなかった。
その後、同年10月に健さん一人で、大原さんのお墓をお参りしていたことが、
大原さんの遺族の話で明らかになった。

1959年(昭和34年)に江利チエミと結婚したが、1971年(昭和46年)に離婚。その後は独身を通している。江利の命日である2月13日には、毎年早朝にひっそり一人で墓前を訪れ、花を手向けている。離婚の原因も不仲ではなく、江利の異父姉によるふたりへの誹謗中傷と夫婦の財産横領が原因といわれている

知り合いの整備士から聞いた話。
彼は暫く太秦映画村近くのガソリンスタンドでアルバイトしていた。場所柄、ときどき俳優がやって来る。といっても一人で来るのはまれで、殆んどは取り巻き連中に囲まれてやってる。そんなだから直接話をする事はないし、話す事があったとしても、役ではいい人を演じてるのに「なんやこいつは」と思う俳優が結構いるらしい。
そんな中で「さすがだな」と思った人の話。
ある日の事「すみません洗車させて下さい」と高倉健が一人でジープに乗ってやって来た。
スタンドの事務所の中では「高倉健だ、高倉健だ」と大騒ぎをしているのに、当の本人はそんな事にお構いなく黙々と洗車をしだした。少し寒い日だったので気の毒に思った知人が「手伝いましょうか?」と言うと、スクリーンの中のあの姿勢と話し方で「いえ結構です、一人でやります。」といって、また黙々と洗車をしだしたという。
スクリーンの中の健さんは、私生活でも高倉健であった。

平成になって以後、出演したバラエティ番組は『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ)ぐらいである。このように、テレビで高倉の姿が見られる機会はごくわずかなため(出演映画の放映は除く)、最近では大変貴重な『SMAP×SMAP』出演は、後日の同番組特番でも、視聴者達からの『BISTRO SMAP名場面リクエスト第1位』に輝いた。

川合さんと高倉さんは同じスポーツジムを利用していました。なんとロッカーが隣同士だったそうです。

二人はそれまで面識はなかったのですが、あるとき川合さんがロッカーに行ったところ、高倉さんが先にロッカーを使っているところでした。

すぐに高倉さんだと気づきましたが、大先輩のことですので、川合さんはちょっと控えていたところ、高倉さんから、大きな声で「こんにちは」と挨拶されたそうです。

今回の川合さんの紹介した迷(名)言はこの高倉さんの「こんにちは」でした。ただそれだけの言葉せすが、川合さんは次のように説明していました。

自分は体育会系であり、挨拶は最も大切にするはずの人間です。しかし、あのときは、高倉さんに対して自分から挨拶ができなかったと猛反省し、以後気をつけているとのことです。

薬師丸ひろ子が高校時代は仕事を理由とした
欠席をしたことがなかった。
大学受験の際は約半年間芸能活動を休止した。
『野性の証明』で共演した高倉健に、高校を卒業したら
すぐにでも女優になった方がいいか?
と相談すると学業の大切さを教えられ、
玉川大学へ進学した。

仏教を学ぶため中国に留学し、14世紀後半に雲南省大理で死亡した日本人僧侶4人の遺骨を納めた供養塔の修復のため、俳優の高倉健さんが1万ドル(約111万円)を寄付、修復工事がこのほど終了した。22日の新華社電(電子版)が伝えた。

僧侶4人は明代(1368-1644)初期に中国に留学したが、政争に巻き込まれて大理に流刑となった。死後、地元の少数民族ペー族が友好を記念して葬り、約600年守り続けた。

高倉さんは、中国を代表するチャン・イーモウ監督の映画「単騎、千里を走る。」に主演した際に省政府などからこうした経緯を聞き、感動したという。

出典ZAKZAK

http://movie.goo.ne.jp/contents/gallery/MOVCSTD8210/005.jpg

キリン「生茶」のCMで共演した総合格闘家の宇野薫によると、高倉は格闘技にかなり詳しく「休憩中に健さんから『UFCの試合をよく観ていますよ。応援しています』と話しかけられ驚きました」と語っている

 

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